My funny WhiteDay

作 桜 ありま




今日は三月十四日。
ホワイトデー。
しかし氷室学級の一女生徒である少女は、特にその日を気にしていなかった。

二月十四日。
ありったけの勇気を振り絞って、生れて初めて本命チョコを渡した。
その相手は、少女の担任である氷室先生。
勿論本命チョコだとは言わず、さりげなくいつもの感謝の気持ちとして手作りのチョコをあげた。
受け取った先生はいつもと代わらずに冷静な態度で・・・しかしどこと無く呆れながら少女のチョコを受け取ってくれた。
本来なら、チョコ受付箱へ、と注意されるはずべきであるチョコが先生の手で受け取ってもらえたのである。
只それだけで、嬉しくて、彼女の担任である先生がお返しをくれるなどという、淡い期待など頭の片隅から欠如していたのである。

そんな少女が、普段どおりの授業を終えて、帰宅しようとした時。
靴箱前で背後から名を呼ばれ振り返る
と、そこに立っていたのは氷室先生だった。

「これから、帰宅か?」
「はい、氷室先生」
少女が、にこりと微笑む。
先生と少女が帰宅時間が重なる事は稀で、放課後先生に会える事は凄い嬉しい。
「・・・時間はあるだろうか?」
少し、少女から視線を逸らして、先生は、尋ねる。
「はい、あ、なにか学級のお手伝いですか?」
少女は会議がある時等、使うプリントをまとめたりする作業を何度か手伝った事が有った。
「いや、少し音楽室に来て欲しい」
どうやら違うらしい、しかし少女はこくりと肯くと、返事を得て納得したように歩き出した先生の後ろを一生懸命付いていった。

音楽室に付いていった少女を待っていたのは・・・

先生は、部活顧問の机のなかから、何かを無造作に取り出すと少女に渡す。

「・・・コホン、これを渡そうと思って君をここに呼んだ」

それは、シンプルに白い包装をされた中くらいの箱。

「えっ??」
どきどきと、少女の胸が高鳴る。
自分が何かしてしまっただろうかと、この先生から手渡されたものは一体何なのだろうかと考えると緊張して、顔が強張った。
そんな様子を見た先生が呆れたように、告げる。
「今日はホワイトデーだろう、君へのお返しだ」
「えっ!!!???」
二度目の、「え」に、目の前の先生は怪訝な顔をする。
もらえると思っても見なかった物を貰えた喜びはまず驚きでしかなかった。
「あ、あのすみません、まさか先生からお返しが頂けるとは思ってもなかったので」
そう上ずった声で先生に告げて、少女は驚きの次に、夢心地のような気分になった。
ど、どうしよう・・・凄い嬉しいかも。
先生がこんな風にお返しをしてくれたというだけで、胸が熱い。
しかも期待していなかっただけに、尚更・・・だ。
「・・・ありがとうございます」

泣きそうになる程嬉しくなる・・・
しかし、先生の目の前で泣くなんて迷惑と思って目頭を押さえて、ペコリ。とお辞儀をして音楽室を出ようとした。
その瞬間。

「待ちなさい、まだ用は済んでいない」
そういって、先生は音楽室のグランドピアノの前に座ると、私を見た。
「君の為に、一曲弾こう」
またもや、思ってもいなかったプレゼントに驚いて少女はあたふたとする・・・驚きの余りに、涙が引いていた。
先生のこの破格の好意をどう表現すれば良いのか。
何かリクエストはないのか?という先生の声に只首を横に振るだけだった。
「せ、先生から弾いていただけるならな、何でもいいです」
頭の中では、いろいろな好きな曲がぐるぐると回っていたが、決められなくて、そしてもし先生が弾けなかったら・・・と思うと申し訳ないのでそういうのが精一杯だった。
先生もそう返されてすぐには思いつかないらしく、いつものように腕組みをしながら考え込む仕種をする。時折、眼鏡を架け直す仕種を取った。
その時間は短かったのだろうが、少女にはとても長い時間に思える。
そしてふと、選曲が頭の中で決まったのだろう、先生が鍵盤の上に指を置いた。
刹那。

演奏が始まる。
少女には聞いた事が無いメロディ。
お礼の曲としては意外なほど悲しそうな静かな曲だった。
その静かな曲が音楽室に響く。
そして、少女の心にも。

先生の指が紡ぎ出す音も表情もいつもと違って、穏やかだ。
先生のピアノを弾く姿を見るのはこれが二度目。
一度目は、偶然。
凄い優しいピアノの音に聞き惚れた。
でも今は・・・自分の為に弾いてくれている。

しかし、はじめは物悲しいメロディも、先生がアレンジしたのか段々と、激しくなっていく。
そして、曲の終りごろには、ふ、と力を抜き、エスティエント。

あっという間だった。
音楽室にこだまする音の響き。
それが消えた頃、少女は我に返って、先生に告げる。

「先生、素敵な演奏をありがとうございました」
そして両手で手が痛くなるほどの拍手をした。
初めて聞く曲でこんなにもいい曲だと感じたのは先生の演奏だったからだろうか?

しかし演奏を終えた先生は、じっと鍵盤を見詰めたままだ。
そして、ぼそりと独り言を漏らす。
「これは・・・かもしれない」

・・・聞き取りづらいほどの小声。
少女に聞かせるつもりはなかったのだろう。
「先生?」
と、いぶかしげに聞き直した声に先生は我に返った表情を浮かべる。
「いや、何でもない」
その顔は、いつもどおりの表情に戻っていた。

「先生、この曲の題名はなんですか?」
今日はこの曲を探しに放課後寄り道をしようと思って少女は何気なく先生に聞いていた。
せっかくの先生が弾いてくれた曲を忘れない為に・・・

「この曲の題名は、『My funny Valentine』という。
ジャズではスタンダードな曲で、この曲を君に弾いた理由は・・・」

キンコンカンコン。
先生がそう言いかけた瞬間。校内放送のアナウンスが流れた。

「氷室先生、氷室先生、お電話が入っております。至急職員室までお越しください」

まるで現実に引き戻されたような突然の呼び出し。
会話を邪魔されたせいか先生はため息をひとつ付き少女に告げた。
「・・・私は行くが、君は気をつけて帰りなさい」
「はい、あ、あのありがとうございました」
慌てて、お辞儀をした少女にいつもより数段と優しい声音で、告げる。
「いや、すまない」
そう言ったのは何に向けてだったのか、少女は曖昧な笑みを先生に向けるのが精一杯だった。
そして、職員室へと向かう氷室先生の後ろ姿を見ながら、心の中で繰り返す。

・・・My Funny Valentine
「私の滑稽なバレンタイン」
悲しいピアノの旋律がまだ耳にのこっている。

失恋の曲?

そして、少女は何度目かの呟きと、貰ったプレゼントに付いていたカードで先生のこの破格の好意の真意を悟ってしまった。

先生独特の流麗な文字で書かれていたカード。

『勉学に励むように・・・氷室零一』

自分が先生にふられてしまったのだと。
あのピアノは、先生なりの断り方だったのだと、胸が痛んだ。




二月十四日。
一ヶ月前は、うきうきしながら帰ったのが嘘みたいな帰り道。
先生にふられてしまった今から思えば、浮かれた自分の姿はまさに滑稽なバレンタインだ。

今日の帰宅の足はいつも立ち寄るCDショップで、ジャズのコーナーにむかっている。
先生にふられたというのに、自分は何をしてるんだろう。
・・・とは思いながら、最後に先生が弾いてくれたピアノのメロディが、耳から離れない。
切ないけど。
先生が最後にくれた音楽。
知っているのは、題名だけ、店の品物は歌手、演奏家順に並んでいてすぐには見つかりそうも無かった。
店員に聞けばすぐに見つかりそうだが、そんな気も起きなくて、棚をひとつずつ丁寧に調べていく。
大きな店内であるだけあってジャズというジャンルだけでも、かなりの広いコーナーが設けてあって、少女にはいつまで経っても見つからなかった。

「お嬢ちゃん、そんな暗い顔して彼氏に振られたの?」

そんな中、声を掛けられた少女は後ろをゆっくり振り返る。
聞き覚えのある声。
そこに立っていたのは・・・

「・・・マスターさん?」
「なんてね・・・どうしたの?暗い顔してるなぁ、ははぁ、さては零一に叱られたんだろう?
あいつ容赦無いからなぁ、かわいそうに」
「こんにちは、そういう訳じゃないんですけど」
そこには、人当たりの良い笑みを浮かべた、氷室先生の幼なじみがたっていた。
本名は益田義人というのだが、少女がマスターと呼ぶのはジャズバー“CANTALOUPE”のマスターだからというのと、先生のお友達をどうやって呼んで良いか分からなかったからである。

「マスターさんも買い物ですか?」
そう言って、少女は少し驚いた顔でマスターを見つめた。
ジャズバーの店長が、CDショップのジャズのコーナーに居る事は珍しくないのだが、お店以外の場所で、そしてバーテンの姿をしていないマスターさんには違和感を覚えた。
いつも居るはずの先生も今日は居ない。

「今日は好きなシンガーのCDが出てね、ちょっと買い物に・・・零一の生徒さんは?」
「私は今日は・・・」
と言いかけて、少女の表情は曇る。
そしてそれを振り払うように、笑って言った。
「CDを探しに来たんです」
「へぇ、なんの曲?」
「氷室先生が弾いてくれた曲なんですけど、題名しか分からなくて探していた所だったんです」
「零一がねぇ・・・題名とか分かる?」
「My Funny Valentine・・・」
そう、少女が消え入りそうな声で言い終わらない内に、マスターは驚いた声を上げる。
「あいつがその曲を!?」
「はい、今日バレンタインのチョコのお返しに弾いてもらったんです」
不自然なほど驚いた声にきちんと少女は返事を返す。
自分の心の傷をえぐると分かってはいても、正直な少女の回答。
「はは、そう言えば今日はホワイトデーか・・・やるな零一」
そうマスターはひとり呟いてから少女に満面の笑みでこう言った。
「よかったねアイツめったにクラシック以外の曲弾いてくれないから貴重だよ
やっぱり君がお気に入りなんだね」

曲の内容を、ジャズバーのマスターが知らない筈は無いのに・・・

いつもの、先生と少女を茶化すマスターの口調。
前なら少し迷惑そうな先生の横、その口調がくすぐったく、そして嬉しかったのに。今日は気持ちが段々と暗くなっていく。
このままでは先生との事を誤解されたままになる。
マスターさんは先生のお友達で、先生に迷惑が掛かるかもしれない。
それではいけないと思って、少女は勇気を振り絞って重くならない様・・・さらりとマスターに告げた。

「その曲を弾いてもらって、先生にふられちゃいました」
多分、笑顔で言えただろうけれど・・・自信は無い。
「え?嘘だろう?」
そんな笑顔の所為だろうか?受け流してくれると思ったのに、意外な顔をしてマスターが聞き返してくる。
信じられない、といった表情。

「本当なんです、だからマスターさんにそう言われると、ちょっと辛いです」
「・・・だから今日はちょっと暗い顔してたのか。
零一の友人として・・・聞かせてくれるかな?」
少女に向けての、大人の相談役としての表情につられて、少女は先生との事をマスターにゆっくりと話す。
途中、何度か言葉は詰まりそうになったが、涙は出てこなかった。
まだ実感が湧いてないのかもしれない。
あの時間は曲の余韻でまるで夢の中の出来事のようだったから。

「・・・そうか、そんなことが・・・不器用だと思っていたがまさか・・・」
話を聞き終わった後、マスターは深刻な顔をした。
そして、視線を少女から逸らす、俯く。
失恋の話はいつも陽気なマスターさえも暗くさせてしまうらしい。
少し、マスターに罪悪感を覚えた少女は、次の瞬間信じられないものを見た。

小刻みに震える肩。
深刻そうな顔は、今にも吹き出しそうな顔を堪えていた表情だった。
しかもこのままだと、CDがディスプレイされている棚を叩きそうな勢いだ。
たった今起こったばかりの失恋の痛手を笑うマスターに少女は、不思議そうに首をかしげる。

何か笑う所なのだろうか?

さっき感じた痛みは、大人の人から見たらただのままごとにしか見れないのかな?
だから氷室先生も・・・

少女は、自然と泣きそうな表情になっていた。
それを見てはっと我に返ったマスターがばつの悪い顔をして慌てながら少女に告げる。

「いや、ほんとうにごめん、生徒さんにとっては笑い事じゃないよな・・・よし、笑ったお詫びに」
と、言って、マスターの真意が分からないまま呆然とする少女の目の前で携帯を取り出すと、どこかに電話を掛け始める。
そこに、少女が質問する隙はなくて。
「あ、零一か?」
そういう、マスターの第一声にどきりとする。

マスターさん氷室先生に・・・掛けてる?

マスターが何を言うのか、少女ははらはらしながら見つめた。
「・・・ん、今、会議中?あ――っ、待て待て切るな!!そんな事言ってていいのか、お前の大事な生徒は預かっている。誰かって?お前のクラスの女生徒・・・といっておこう」
「マスターさん!止めてください」
先生を会議中に呼び出すなんて・・・
少女は咄嗟にマスターに声を掛けてしまう。
どうやらその声が受話器の向うの先生に聞こえていたらしい。
しまった、と思っても、後の祭。
「・・・誰か分かったようだな。
はは、無事に帰して欲しきゃ、CANTALOUPEまでこい!こない場合はあーんなことやこーんなことをやっちゃうかもなぁ・・・以上」
プチリ。
と、マスターは言いたい事だけ言うと、先生の言葉を聞かずに電話を切る。
切った直後に、マスターの携帯に電話が掛かってきた。
着信はジャズアレンジされた曲。
何の曲かは知らないが多分先生だ。
しかしマスターは電話に出るどころか、電源をあっさりと切る。
そんな行動に、不安になる少女。
勿論、マスターが少女の事をどうかするとはつゆほども疑っていないほど信頼していて、不安は別の事だ。
そんな少女を見ながら告げるマスター
「こう言ってしまった以上、生徒さんも、俺の店、来てくれるかな?ま、だまされたと思って・・・なんで俺が笑ったのか説明してあげるよ」
その顔は、拒否権を許さない笑顔だった。




何故笑ったかの、説明も無いままに、お店についた少女とマスター。
「まだ、営業する時間じゃないから、遠慮なく入った、入った」
そういって、マスターはクローズの札のまま、店の中に入ると、必要な場所だけ電気を点けた。
「さ、そっちのカウンター席でも座っていいから」
いわれるままに、カウンター席に座ると、鞄とコートを隣の席に置かせてもらう。
電気がついている場所だけ切り離された空間のように、不思議な雰囲気をただよわせていた。
まるで、舞台みたい。
そう、素直な感想を持つ。

「う〜ん零一の事だから会議が終わるまでこないと計算して、生徒さん、には・・・っと、はい、レモネードおれのおごりだから、気にせず飲んでやって」

テキパキと、少女がカウンターに座る合間にマスターはレモネードを作ってくれた。
お洒落なアンティーク調のグラスに注がれたレモネードは、もやもやとした感情がそうさせているのか、いつもの美味しさが半減している。
・・・それともこの場所、自分の隣に、氷室先生がいないからなのか。
少女の憂鬱な表情とは対照的に、マスターの表情はどこか楽しげで・・・まるで本当に、舞台劇のようだった。

「氷室先生は来ないと思いますよ」
きっと、ふった生徒の悪戯のようなものだと思って、気に留めないに違いないと思う。
「さあて、そうかな、俺は絶対来ると思うけど」
「どうして、マスターさんは先生を呼んだんですか?」
「いや、だって、俺が笑った理由なんだけど、生徒さんが勘違いしてるから・・・教えてあげようと思って」
ドキリ。としてしまいそうになるほどのマスターの微笑。
たぶん女性客を惹きつけるとっておきの表情であるが、商売用ではない微笑。

「勘違い?」
あの、先生との時間。
何をどう、勘違いすることがあったんだろう?
少女は考えた。
何も考える余地がないほど、完璧だ。
先生らしい、完璧な断り方。

だんだんと、考えが後ろ向きになっていく少女とは反比例して、マスターは不思議なほど楽しそうだった。

「そう、だからついつい俺も笑っちゃった責任を考えてね、零一を呼んだわけ、だってまず、あの曲はバレンタインの曲じゃ・・・」
そう、マスターが少女の耳元で言いかけた瞬間。

「ないし・・・」
ガタン。

店の扉をこれでもかという程乱暴に開け放った音との完璧なユニゾン。
そして間髪入れず暗闇の中から聞こえた怒声。

「益田!!!」

カツカツ。
静かな店内に響き渡る靴音。
そして、舞台に登場する役者のように、カウンターに薄暗闇の中から登場したのは・・・

「氷室先生!」

「あれ、零一?・・・思ったより速かったな」
今まで俺が呼び出した中での最高タイムかもしれないぞ、なれた様子でその怒声をまったく気にしないマスターの軽口。
いつもなら、完璧に整った姿である筈の、髪やスーツが少し乱れている。
眼鏡を架け直す仕種。
急いできたらしいその様子は先生はかなり怒っているようだった。
少女はここまで怒った先生を始めてみるほどの怒りのオーラが漂っている。
それもそうだろう会議中に呼び出してしまったのだから。
しかも、少女の所為で。
先生にこれ以上嫌われるのは恐かった少女は椅子から立ちあがり慌てて謝る。

「ご、ごめんなさいっ、氷室先生」
その声を聞き、くるり、とマスターから少女に向き直ると、眉をひそめて先生は告げる。
その目には、怒りはない。
「・・・何もされてはいないか?」
「はい?」
少女は、目を丸くする。
そんな表情にかってに何か納得した先生。
どうやら、マスターの電話での台詞。

こない場合はあーんなことやこーんなことをやっちゃうかもなぁ・・・以上。

を本気にしていたらしい。
先生、心配してくれたんだ。
ますます、申し訳なくなる少女の気持ち。
少女のぽかんとした顔で、何事も無かったのかと、先生は少し怒りが和らいだかのように見えた。

しかし、それは瞬時に変化しカウンター越しのマスターに詰め寄る。
「会議があって、来れなかったんじゃなかったのか?零一?」
一方マスターは大袈裟な、邪魔された、とでもいうかのようなしゃべり方で先生をあしらった。
「会議の方向性は、予測しうる内容で途中で退席してもよいと判断した・・・そんな事よりなんのつもりだ?益田!私のクラスの女子生徒と、こんな所で二人っきりになるとは!」
「別に俺だって独り身だし、デートしたっていいじゃないか、ね、生徒さん?」
「えっ?・・・あのっ」
少女が答えられぬままに、おろおろしていると。
「どうせ、お前が勝手に連れまわしたんだろう?まったくお前は・・・」
クドクド・・・と、先生の小言がマスターに集中豪雨のように降り注ぐ。
少女が本当の事を言う隙も無い。
そんな言葉が尽きない中、マスターは意に介さずに、にやりと先生に告げた。
「あ、そうそう零一、お前生徒さんにマイファニー・ヴァレンタイン、弾いてくれたんだって?」
話題転換。
「!」
その台詞を聞いて、終わることなどない様に思えた先生の口がピタリと、閉じる。
成功。
というかの如く、今度は閉口した先生にマスターが語り始めた。

「生徒さんが、その曲について知りたいって言うから、ここに連れてきたんだけど、俺が教えるよりこの曲を弾いたお前が教えた方がいいかな?と思ってお前を呼んだんだよ・・・俺が教えると、余計な事教えちゃいそうだしね」
最後の方は、意味ありげに小さくなるマスターの声。
少女はやっとの事で、先生に
「そ、そうなんです先生…あのマスターさんは悪くないんです」
と、告げるのが精一杯で、その意味ありげなマスターの言い方に気付かない。
「曲について、教えて下さると言うので・・・私の所為なんです、ごめんなさい」
そう言いながら先ほど、マスターが言いかけてドアを開ける音で聞こえなくなった会話を思い出した。

そう言えばあの時・・・

「あの、氷室先生、マイファニーヴァレンタインって、バレンタインの曲じゃないんですか?」
そう、確かにマスターは少女に向かって言った。

バレンタインの曲じゃ・・・ないし

そう聞かれた、先生は、少し間を空けてから
コホン。
と、咳を一回して。
「・・・そうだ。」
あっさり肯定。

バレンタインの曲じゃない?

「え、では、何の曲?なんでしょうか???」

・・・My Funny Valentine
Valentineに別の意味があったのだろうか?
私の?勘違いって?
そう聞きそうになるのを堪えて、少女は先生に尋ねる。

「この曲は、ヴァレンタインという人物に向けた思いの曲でバレンタインの日の曲では無い。題名は主に私の可愛いヴァレンタインと意訳する」
「バレンタインの日じゃなくて、ヴァレンタインさん?だったんですか」

バレンタインのお返しに弾いてくれた曲。
だから・・・

「私、てっきりバレンタインの日の曲かと思ってました」

するすると、明らかになっていく自分の勘違い。

私の滑稽なバレンタイン
私の可愛いヴァレンタイン
FUNNY一つの訳の違いで、大きな違い。

「そう、・・・つまりこの曲を弾く事で私が君に言いたかったのは、先入観などで、物事を判断するなという教訓を教えたかったのだが・・・君は見事に、引っかかっていたようだな」

そう言われてば、バレンタインというのは、聖人ヴァレンタインから来ているので、元は人の名前なのに・・・

先生の、説明を聞いて少女はマスターの笑った意味を完璧に理解して、顔が赤くなる。
マスターさんが、笑ってしまうのも無理の無い事。
先生は私の気持ち気付いても居なかったのに。
自分の思い込みの激しさに恥ずかしくなってくる。

「すみません・・・」
「いや、謝る事など無い。私がきちんと最後まで説明していればよかっただけの事だ・・・後日改めて伝えようとは思っていたが」

すまない
そう別れ際に先生が告げた言葉は、自分の説明が中断された事に向けての言葉。
言葉どおりに受け取っておけば良かったのに、勘違いした私。

「でも、本当にそれだけですよね?弾いて下さった意味は」
「・・・それだけとは?」
いぶかしげな氷室先生の表情。
まさか、遠まわしに私をふった訳じゃないですよね?なんて事を言える訳無くて、少女は慌てて首を振る。
「い、いえ、何でも有りません」
「別にそれだけの理由だ」
少し、少女から目をそらしての先生の回答。
慌てていた少女には気付かない、些細な表情の変化。
「そ、そうなんですか」
先生に他意が無いと分かってほっとする少女。
顔には笑顔がもれる。
「別に、礼の為に弾いた曲にレポート提出を義務付ける気はないが・・・」
・・・黙っておこう。



「分かりました、今日の事、教訓にします」
完全に謎が解けて、少女は笑顔になった。
先生も、その様子を見て満足げに頷く。
「大変結構」
「本当にすみませんでした、氷室先生」
「君が気に病む事は無い」
「うんうん、俺が悪いんだから、生徒さんは気にしないでいいよ」
「・・・お前が気に病む事だ、益田」
不機嫌そうにそう告げる、先生。
でも、その姿にはどこと無く暖かみがあって。

「帰るぞ」
「はい、氷室先生さようなら」
そう言った先生に少女は挨拶をすると、帰ってきたのは怪訝な顔。

・・・どうしたんだろう先生?

そう、少女が、先生が帰るのを見送ろうとしていたのに、先生は一向にこの場を動かない。
「・・・何をしている送っていくから、来なさい」
「え、でも会議は・・・?」
「もう終了している、君の家は私の帰路に有る・・・問題ない」
気が付けば少女の腕時計はもう、七時を過ぎていて。外は真っ暗。
通いなれた道ならいざ知らず、この店周辺の地理は全く少女は把握していない。
「それとも、一人で帰れるのか?」
「お言葉に甘えます・・・」
慌てて、隣の椅子に置かせてもらっていたコートを羽織って鞄を持つ。

「マスターさん今日は有難うございました」
多分今日は、マスターさんに会わなければ、最低なホワイトデーだったに違いない。

先生への告白は振り出しに戻って、先生の気持ちは分からないけれど・・・
可能性はゼロじゃない。
それで十分。
それだけで嬉しい。

カウンター越しのマスターにぺこりと挨拶すると、先生の待っている入口に向かって掛け出した

「いえいえ、またね、生徒さん」

右手を軽くあげて、手を振るマスターを背に、こうして、少女の滑稽なホワイトデーは幕を閉じたのだった。





二人が去っていく姿を見て、微笑みながらマスターはぽつりと呟いた。

「・・・・・・ほんっと、素直じゃないなぁアイツは。」
確かに義人が笑ったのは、少女が思い切り、曲の意味を勘違いしていたのもある。
しかし、そんな事は良くある事で、あそこまで笑った、本当の理由は・・・

「マイファニーヴァレンタインなんて、ベタなラヴソングじゃないか、零一にとっては生徒さんへの愛の告白だろうに・・・ま、今回はあいつなりに教職者として誤魔化したみたいだけどね」
勿論、それは長い付き合いの義人だからこそ分かる零一の感情。
最近の零一の様子を見ていれば分かる事。

今日だって、生徒さんの為にあんなに慌てて来たじゃないか。

服装の乱れは心の乱れ。
そういう零一が服装が乱れる程慌てて店内に駆け込んできた。
その様子を思い出し
くくく。
と、義人は笑う。
滅多に見られるものじゃない。

親友の思い人に手を出すほど俺はいいかげんじゃないのに。
少し心外だったが、それが不器用なあいつなりの本気と言う事なのだろう。



物悲しいメロディ。
その奥にあるのは、悲恋ではなく、人を思う事の切なさ。

そんな愛の告白を、その正反対と勘違いした生徒さん。
無理もない出来事だけれど零一が滑稽で・・・
益田の笑いは少女に向けたものではなく零一に向けたものだった。

この曲が流れる度に、ホワイトデーが来る毎にきっと義人は笑ってしまうだろう。
多分、次のホワイトデーには、生徒さんがこの曲の本当の意味を知ってる事は間違いない。

義人は、口笛を吹きながら嬉しそうに、開店準備をし始めた。

勿論、口笛の曲は・・・



FIN



●後書●

マスターさんの本名が益田さんなのは
やはりマスターさんだからでしょうか?〔笑〕

いつもより数倍長い作品を読んで頂いて有難うございました<(_ _)>
この作品にでてくる「My funny Valentine」は
本当にある曲でジャズではスタンダードな曲だそうです。
と言うわけでこの曲を知っている方にはネタばれな作品ですね。
それに憶測や私見で曲を表現してますし・・・遠い目
音楽は苦手なジャンルなのに無謀なチャレンジ。

私はこの曲を始め聞いた時に主人公と同じ思い違いをしておりました。
それで、おっ!!これでヒムロッチ×主人公が書けると思った私は書き始めたのですが・・・
書き終わってみるとなにこれ!?な出来に〔苦〕
やはり、ゲーム内容に沿ってないと、暴走=3してしまうようです。(=´▽`)ゞ

ではでは三月はもう半年程過ぎてしまいましたが・・・ちかげ様へ捧げます。





桜ありまさんから頂いた『ときめきメモリアルGirl's Side』の小説です。
氷室先生×主人公ちゃん・・・(*´∇`*)
やっぱり良いですよねえ・・・vv
素直じゃない氷室先生や、マスターさんの発言で慌てて駆け付けてくれる氷室先生にメロキュンvv
主人公ちゃんの、可愛い勘違いっぷりもすごくキュンっとしちゃいますvv
そして何より、マスターさんの「あーんなことやこーんな事」発言に(▼∀▼)ニヤリッ!!
良いですねえ、マスターさん(笑)
曲の話ですが、私もバレンタインと聞いてバレンタインの曲かと思いました。
まんまと騙されちゃった?組です(笑)
ベタなラブソングだったとは・・・知ってる人には、ニヤリな内容だったかもですねvv
桜さん、小説の調整など色々として送って下さって、本当にありがとうございました!(⌒∇⌒)


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